東京駅、国立旧駅舎、それぞれのたいせつなもの

2012年9月28日 19時10分 | カテゴリー: 活動報告

長かった夏も、ようやく引き潮の時期を迎えました。

 国政は、代表選だ総裁選だと喧しく、まったく国民は置き去り状態です。国会議員の頭の中は、次の選挙のことで一杯。一度でいいから「政権を取ること」優先ではなく「任期満了まで、政策論議を交わすこと」を優先に行動できないものでしょうか。本当に、残念な人たちです。
 
一方、地域では、市民が、次の時代をどのようにデザインするのか、議論と準備に余念がありません。カメの歩みのように見えますが、着実に、議員だけに任せておく時代は、終焉を迎えつつあります。

 国立市では、駅周辺まちづくりの議論が佳境に入っています。交通に関する市長の選択は十分な市民の意思を汲んでいるでしょうか。今後の動向が気にかかるところです 😯

 先日、東京駅丸の内駅舎復元工事が終わりました。中央線のホームに立つと駅舎の裏側が見えますが、正面外観に比べ、レンガ風の部分がなんとも安普請で悲しい気分にさせられ「裏側こそ大事よね~」としみじみ思ってしまいました。ところで、旧国立駅舎の復元はどうなるの?と心配されている方も多いことでしょう。もちろん、私も気になっている一人です。交通検討部会、まち育て検討部会、そして景観検討部会の3部会の様子は、きちんと市民に伝わっているでしょうか?

 国立の外に出て気づいたのは、行政のPR不足を市民が補っているということ。地域の活性化には、こうした市民の努力は欠かせないものです。だからといって、行政は「市民頼み」になってもいけません。

旧駅舎の部材は、文化財として保管庫で復原を待っている。

陸前高田の奇跡の一本松の保存については、皆さんも記憶に新しいところでしょう。「どうして、“枯れた松”に薬剤を投入してまで保存したいのか、よくわからない」という声も聞きます。しかし、被災された方々にとっては、ただの“枯れた松”ではありません。国立の旧駅舎も同様なのです。旧駅舎と奇跡の一本松を同列で語るのはおかしい、と笑うでしょうか。「人々の思いが詰まったもの」としては同じです。違いがあるとすれば、旧国立駅舎は、保存だけでなく活用も目的としているところでしょう。肝心なのは、「思いを保存する行為」は、「歴史や文化を大切にする行為」であること。それを子どもたちに伝える貴重な機会でもあるのです。

 私の住むいわき市勿来地区では、現在、なこそ復興プロジェクト(市民団体)が、復興公園(岩間海岸)づくりに取り組んでいます。津波によって、すべてを奪われた人々にとって「希望」となるよう、壊れた防波堤をモニュメントとして残す計画です。国立の皆さんの協力を得て、市内でも震災の写真展を開催していただ
きましたが、なこそ復興プロジェクトでは新たな写真を準備し、第2弾の写真展の呼びかけをしているとのことでした。公園づくりの資金となるよう募金も呼びかけています。

どうぞ、ご協力をお願いいたします。