新たな差別を生まないように

2012年2月17日 21時35分 | カテゴリー: 活動報告

フクシマからの警鐘

やわらかくなってきた日差しの中のオキザリス
やわらかくなってきた日差しの中のオキザリス
 ある日、子どもたちが「はなれない、はなれたくない…♪」こんな歌詞の曲を合唱している光景が、テレビから映し出されていました。私は、我が目を疑いました。「教員が作曲し、子どもたちに歌わせている光景を、県民は、どのように受け止めたのだろうか?」
“故郷を愛する気持ち”は、尊いものです。私は、そのことを“イケナイ”言っているのではありません。
しかし、放射能の影響を考え、福島県を離れた子どもたちも大勢います。国立市内にもいます。親の心中も、複雑だったに違いあいません。しかし、1人1人の子どもたち自身の意志で、転居を決められたとは限りませんし、当然、親も悩んだ末のことでしょう。
いつか、同級生たちと再会できる日が来るかもしれないのに、福島県を離れないことが、あたかも「美徳」のように聞こえてしまうのは、危険ではありませんか?子どもたちの中に「差別」の心を持たせてしまうのではないでしょうか?
繰り返し「はなれない、はなれたくない」と歌わせる罪深さに気が付いてほしいと思いました。

 私は現在、福島県いわき市で市民活動に関わっていますが、津波で流された人たちの土地の補償問題で、新たな「差別」が生じていることを聞き、心を痛めています。
 東日本大震災から1年目に、さまざまなイベントを計画している地域は多いと思いますが、いわき市勿来地域でも「なこその希望『鎮魂祭』」(といっても、宗教行事ではありません)と銘打ったイベントを企画中です。
コミュニティが復活できればいいね!という思いで、地域の方々が一生懸命取り組む姿がある反面、津波で家を流された方々に、国や県からの補償のあるなしで「あの家はね…」というような陰の言葉で、心傷つく人たちもいます。
補償は、罪深いな〜としみじみ思います。お金の問題ではない!でも、人には、それぞれ事情もあるし生活もあります。誰にこれを責める権利などありましょうか!

それぞれの立場になって考えることができたなら、こんな「差別」など、起こらないはずなのです。
大人が、そんなことでは、日本の未来が思いやられます!

私たちは「世界に生きている」
私たちは「宇宙に生きている」
そのくらいイマジネーション豊かに、広い心で捉えることができたなら、些細な諍いも戦争も、なくなるはずなのにね…。