悲しみの向こうへ

2011年4月10日 09時09分 | カテゴリー: 活動報告

震災を超えて

国道6号線のあちらこちらに、地震の爪痕が残る
国道6号線のあちらこちらに、地震の爪痕が残る
 2011年4月3日、母は旅立ちました。
 震災後、実家からの呼び戻しに、私は、議員として最後の議会「最終本会議」の出席を諦めざるをえませんでした。市民の皆さまには、申し訳なく思っています。
 
しかし、親の最後に逢えぬ人の多い中、私は恵まれた人間だったのかもしれません。震災で、家屋ごとすべてが倒壊したり、津波で流されてしまった方々を思うとき、正直、複雑な心境に襲われます。
 テレビでは、著名人が応援エールを送る放送が繰り返し流れ、また、久しぶりに降り立った国立駅頭でも、YMCAの若者たちが、募金活動をしていました。世界的規模で、支援の輪が広がる一方で、変わらず原発の危機的状況は回避できていません。

 昨晩も、宮城では震度6強を、私の実家のいわき市でも震度5強の地震がありました。看病に続いて、通夜、告別式と疲労困憊の中で、夜半の余震では飛び起きたものの、明け方の余震は気がついても、身体を動かすことさえできませんでした。

 この間、地震のたびに、誰もが「原発はどうだったのか?」が、最大関心事だったのではないでしょうか。
 どんな状況下にあっても、次世代にこれ以上の汚染を残していいはずがありません!
末期がんの激しい痛みの中で、母も、このことが一番気にかかっていたらしく、亡くなる直前の母の日記には、乱れた文字で地震の恐怖と原発への不安が綴られていました。
 
今から、20年ほど前、カメラマンの樋口健二さんの講演会が、国立市でも開催されました。当時は、チェルノブイリ原発事故の直後だったのではないかと記憶しています。原発現場における労働者のほとんどが、放射能の危険性に関する情報を知らされぬまま、働いているという実態に、私は、これは「国家ぐるみの詐欺」だと言い知れぬ苛立ちを覚えたものです。子どもたちの未来のために、私たちは、いったい何ができるのでしょうか?経済の活性化?それとも、安全な地球?その結論は、天秤にかけて判断するようなことではありません。「命」より大事なことなど、この世にあろうはずがないのだから!

 温暖な気候、美味しい魚介類や農作物に恵まれた土地であった我が故郷が、こんなふうに変わってしまったことに、胸が潰れる思いなのは、私だけではありません。
 災害があろうとなかろうと、人として、一番大切な命を守るためにこそ「政治」は存在するものだと考えます!