自分さえ良ければ、それでいいのか?!

2011年3月18日 18時00分 | カテゴリー: 活動報告

子どもたちに、何を伝えていくのかを考えよう

 大震災から1週間。被災地への多くの善意の方々の支援のある一方で、各地では、食品や生活用品、ガソリン等の品薄状態が続いています。
 国立市内でも、ガソリンスタンドには、長蛇の列。ドラッグストアにも、トイレットペーパーなどを買い求める人の列が見られました。
 「東京にも、大災害が起こるのではないか?」という不安が、こうした人々を突き動かしているかもしれません。
しかし、その結果、遠くまで買い物に行けない高齢者の方々の生活を脅かしているとの報道がありました。「災害弱者」の存在は、被災地だけではないのだ、ということに、私たちは気付かなければなりません。

 福島の原発事故は、国から「安全」と言われながら、建設当初から「いつか、人類の危機が起こるかもしれない」という不安を抱えていました。
 チェルノブイリ(1986年)の時も、東海村臨界事故(1999年)の時も「明日は我が身」と思っていました。
 一日も早く、原子力に頼らぬ自然エネルギーへの転換を願ってきました。私も、母親として子どもたちの未来を真剣に考えた時、取り返しのつかぬ事態が起こる恐れのあるエネルギーのあり方を、国に見直してほしいと願ってきました。国立市議会でも、2008年、六ヶ所村の再処理工場に関する陳情採択を受け、「放射能放出規制と食品の放射能分析を求める意見書」を、国に提出しています。
原子力に頼らぬエネルギーのあり方を、もっと早く転換できる機会が何度もあったはずなのに、何故にこうも人間は「喉元過ぎれば、暑さ忘るる」のでしょうか。
 この半年、私が気になっていたのは、日本の原子力発電の発展途上国への技術輸出の記事でした。この国での原発の拡大に「限り」が見えた時、他国への進出で経済活動の活性化を図るという考え方の問題点です。
 地球規模の危機を招かぬようにするためには、どこの国にも原子力発電所は建設すべきではありません。「原爆と原発は別だ」などという人がいるとすれば、それは、あまりに単純というよりほかは、ありません。

 この間、計画停電に接し「な〜んだ、その気になったら、みんな節電できるじゃないの」というのが、正直な感想です。
 企業も自治体も、相当な負担と努力を強いられています。コンピューターを、いったん停止させ、再起動させるまでにかかる時間をかんがえると、丸1日操業停止にしたほうがまし、という話を聞くにつけ、確かに日本経済に与える打撃は測りしれません。しかし、どうでしょう。私たちの身の周りには、どれほど無駄な明かりが多いことか?
 たまには、月明かりや星を眺める風流も持っていたなら、違った現実があったかもしれないと思うのです