決算特別委員会の議論から

2009年10月2日 15時44分 | カテゴリー: 活動報告

謝らせることに執着する意味って何?

 本日から4日間の日程で、2008年度の決算特別委員会が開催されています。きょうは、監査委員の決算審査意見書に対する質疑、健全化判断比率等に対する質疑、歳入全般に対する質疑が、行われました。
 その中で、監査委員からの「要望事項」に『年度末の資金繰りについて、一時的な歳計現金不足が生じる恐れがあるので、より安全な資金運用をするように』とありました。野党議員からは、「これは要望事項ではなく、指摘事項にすべき」「歳計不足が生じているのに、毎年3〜4億円余分に見積もっているじゃないか(不用額があるではないか)」などの意見が出されました。 
 監査委員が、これを「指摘事項」にせず「要望事項」に留めたには理由があります。これまで、市の対応策は、歳計現金不足は、年度内の繰りかえ運用によって対応してきたのです。これは、年度末の支払いや年度初めの手元の現金不足を、市内の金融機関に利子を払いながら借りるのではなく、内部のやりくりで対応してきたものです。しかし、それが予測されるなら、基金の取り崩しで早めに対応するようにと、今回の監査委員のアドバイスでありました。
 契約差金等で生じる不用額は、予算の2%程度は制度上やむを得ないものです。例えば、予算をあまりに低く見積もった場合には、入札が不調に終わることもあり得るため、その見定めは、なかなか難しいものがあります。
 職員が財政圧縮のために、爪の先に火をともすような努力をした結果の「不用額」でもあるのに対し、お金を余らせるのはけしからんというのは、なんとも不思議な図ですね。
 会計管理者に対する私の質疑では「年度末や初めには、歳計現金の不足になるので、そういう意味では不用額があるのは、ありがたい」という、あまりに正直な答弁に委員会室は、一瞬、和やかな笑いに包まれました。

 議員には、見解の相違はつきものです。
 それは議員でなくとも、誰しもあること。しかし、ときどき、議会という場において、意に染まぬ他の発言を「取り消し」という形で、封殺しようとする行為が見受けられます。
 何が何でも「謝れ」「取り消せ」これは、いかがなものかと思ってしまいます。先の9月議会にも、きょうも発言の取り消しを求める光景がありました。
 Mr.Childrenの曲に「口がすべって」という曲があります。私の大好きな曲のひとつですが、不用意な言葉で恋人とケンカしてしまうけれど、結局、許しあうという内容の歌詞です。
議場という場では、「口がすべって」ではなく「確信犯的」に発言することもあります。これを、いちいち取り消させたのでは、活発な発言が阻害されます。私自身は、正直「カッチーン」と来ることもありますが、「それはそれ、見識の違い」という程度に捉えています。
ミスチルの「口がすべって」の最後の歌詞では
♪僕らは、許しあう力も持って生まれてるよ。
ひとまず、そういうことにしておこう。それが人間の良いとこ♪
と結んでいます。