ヘンペルの「白い」?カラス

2009年5月1日 17時36分 | カテゴリー: 活動報告

逆、必ずしも真ならず?

  ようやく花粉の飛散も少なくなってきたようで、ともすれば薬を飲むことを忘れるようになりました。
先日、洗濯物を干すため戸を開けると、道の向こう側の電線でカァ〜カァ〜という鳴き声が聞こえました。「朝から、さわやかな声じゃないな〜」と見上げると、見たとことのない鳥がいるではありませんか!

声の主は、どう見てもカラスなのに「白い」のです。バードウォッチングが趣味の私は、身近な鳥の名前は、たいてい知っています。あらためて図鑑でも確認しましたが、やはりカラスのようです。次男も、1ヶ月ほど前、「大学通りで白いカラスを見たよ」と言っていたので、たぶん同じ鳥なのでしょう。次男は携帯で写真を撮っていましたが、あまりに遠くてカラスの特徴を確認することは難しい写真でした。
 
突然変異なのか、それとも鳥も老化して白くなるのか???いずれにせよ、こうした場面に遭遇すると、私は、やはり地球環境が悪化しているのだと思わざるを得ないペシミストです(笑)。
 
皆さんは「ヘンペルのカラス」をご存じですか?
すべてのカラスは黒いということを証明するための対偶論法のことです。カラスが黒いということを証明するために「黒くないものは、カラスではない」ということを証明すればいい、といわれると???となってしまいます。ヘンペルは、そのために1羽のカラスも調べる必要もないということこそが基本的概念だという指摘もあるようですが、私が見た「現実」には、これを証明することができません。
 
ヘンペルのカラスから、「政治の世界」を透視してみると、どうでしょう?ある政策をすすめる上で、市民が望んでいるかどうかの判断をする場合、帰納法では、前提が真なら結論も真であるとは必ずしも言えません。すべての市民が望む行政サービスが唯一無二ではありませんから、答えが1つであろうはずもありません。アンケートや市民参加による審議会は、物事を決定づけるためのヒントとして使われることはあっても、それのみで決定するものでもないということも事実です。
 
議員が、市民の未来にとってベストな政策を追求することは当然のことですが、その結果が必ずしも「すべての市民にとってベスト」とは限らない、それは永遠のテーマであり、正解は、ずっとずっと後の時代にならないとわかりませんし、評価も分かれるものです。
 
議会という場では、さまざまな議論がなされますが、結果だけをみても、わからないことが多々あります。ヘンペルのカラスは、むしろ「人間の直感の危うさ」を指摘した論法であるとの指摘に触れ、私は、市民の皆さんには、そのプロセスであるリアルな議論を見に来てほしいと願うばかりです。