無駄か無駄でないかの判断

2009年4月17日 16時56分 | カテゴリー: 活動報告

〜未来への投資を考える〜

 
  「無駄な公共事業をやめよう」というフレーズをよく耳にしますが、無駄か無駄でないかの境界線は、どのようにして決めればいいのでしょうか。

  生活者ネットワークでは、八ッ場(やんば)ダム事業は「無駄な公共事業」として、住民訴訟を支援してきました。東京都では水需要が減少し、充分な水源を保有していること、利根川治水対策といわれるが、過去のデータから大規模氾濫の事実はなかったこと、ダムサイトの地盤の脆弱性から地すべりの危険性や自然環境へのダメージが大きいこと、などが「不要」の理由です。(この訴訟は、1都5県で同時進行中ですが、東京が一番早く5/11に東京地裁で判決が出ます。ぜひ、ご注目ください)
 
 さて、どんな事業も、このように緻密なデータの積み重ねで、無駄か無駄でないかを判断することができれば、それが理想だと思います。しかし、現実には、なかなかそこまでに至っていません。

  どの自治体も財政難にあえぐ中で、事業の優先順位を考えなければなりませんが、日常的に行っている事業の必要性についても、同時に検証していかなくてはなりません。貴重な税金を使って行うのですから、無駄があってはならないからです。誤解を恐れず書きますが、新たな事業に着手しようがしまいが、関係なく「事業見直し」そのものは、重要なことなのです。
 

 「財政難だから、何もせずおとなしくしていよう」とおっしゃる向きもありましょう。そういう選択もあるかもしれませんが、何もしなければ、自動的に現状が好転することはありません。「景気回復」を待つだけでは、まちは活性化せず、死んでしまいます。次世代への負担は、なるべく軽くしたいものですから、そこは慎重に見定めねばなりません。

 次世代へ、引き継ぐものが借金だけでは悲しすぎます。しかし、まちを愛し、その魅力を最大限引き出し、より多くの人々が楽しめるようなまちづくりが実現すれば、これこそ、次世代へ引き継ぐことができる「財産」となるでしょう。まちの魅力は、駅周辺だけではありません。歴史的建造物やハケや湧水などの豊かな自然なども含めて、新たな「国立ブランド」づくりへと、市民が一丸となってすすめていくことで、まちが活気づくはずです。
 
   人は、どのタイミングで未来への投資を決意するのでしょうか。まちづくりにおいては、「合意形成」が重要なことは言わずもがなですが「まちづくりの必然性・優位性」を、しっかり検討することも必須のプロセスと考えます。 

*写真(右)友人の家の玄関先には、黄色いモッコウバラが咲き始めました。 (左)貝殻橋からの風景