優先順位と市民合意の手法を議論しよう

2009年4月10日 15時15分 | カテゴリー: 活動報告

市民参加の未来形とは?

 桜のアーチをくぐり散策するのは、心が豊かになる至福の時間です。国立駅に降り立つ多くの来訪者は皆、このまちを「贅沢なまち」と羨んでいるのではないかと、内心、ちょっとした優越感を覚えるのは、私だけではないのではないかと思う今日この頃です。
 そんなまちの魅力を生かすも殺すも、これからのまちづくりの“取り組み方”にかかっているのではないでしょうか。よく「無駄な公共事業はやめよう」と言いますが、私自身も、もちろん、そのことには大いに賛成です。ただ、「無駄か」「無駄ではないのか」は、やはり、きちんと市民に問わねばなりません。「それを決めるのが議会の仕事だ」とおっしゃる向きもありましょう。しかし、果たして、それで十分なのでしょうか?皆さんが1票を投じた議員が、必ずしもすべての施策について「あなた」と同じ判断をしているとは、限らないのです。財政負担の大きな事業については、特にていねいにプロセスを踏むべきであると考えます。しかし、残念ながら「パーフェクトな市民参加」というものはありません。何故なら、いずれにせよ最終決定は、市長に委ねられるからです。住民投票というしくみさえも、市長自身が、採り入れる気がなければ、それまで!なのです。
 以前、私が土木学会のシンポジウムにコメンテーターとしてよばれたとき、プラーヌンクスツェレの話をしました。(HPバックナンバー07 .10 /19参照)それはまだ、日本での実践例が、数えるほどしかない頃でした。しかし、今では、相当数に及びます。しかし、皆さんもお気づきのように、これとてパーフェクトではない!そう、市長の意志次第なのです。市民に直接選ばれた「市長(首長)」というのは、それほど大きな権限を持つ立場なのです。その一方で、当然あらゆることに責任を負わねばなりません。
 単に、市長批判するだけなら、誰にでもできます。しかし、本当にこのまちの未来を考えるなら、批判だけでは前に進みません。「社会的資本整備」を旨とする土木学会も、「合意形成」をどう諮るかを真剣に考えている時代に、旧態依然と議員の「ご都合」で物事が決められてしまっては、市民が不幸です。今回、国立市南部地域整備基本計画策定に向けては「開発」の文字がなくなりましたが、いまや「開発」は「整備」という言葉に置き換えられるようになりました。「整備」は人々の暮らしに根ざしたものでなければなりません。それは無駄な公共事業ではなく“市民重視のまちづくり”に他なりません。合意形成のプロセスが、市民に明確であること、その情報が市民に対して正確であることが求められています。議員は、メンツにこだわることなく、重要な施策では、市民意見の反映を、偏ることなく行えるような「しくみづくり」にこそ心血注ぐべきではないかと、最近、頓(とみ)に思うのです。