私しか見えない!

2008年2月15日 11時43分 | カテゴリー: 活動報告

KYなヤツ

きょうは、St.Valentine’s dayです。
 イベント好きの日本人好みだったこともあり、すっかり市民権を得たようです。でも、その背景には「寂しがりや」が見え隠れします。誰もが、自分自身の存在を確認したいし、愛されていると思いたいし、そういった感情の裏にこのイベントが流行(はや)り続ける理由があるように思います。「私を見て!私を愛して!私だけを!」
注目されたい感情は誰にでも存在します。子育て時代には、子どもたちへは、愛情をわけ隔てなく注いだ自負があっても(その子の個性もあり)本人が『充分』と感じなければ、伝わってはいないのだという、子育ての難しさを思い知らされたものです。
 しかし「私を見て!私を愛して!」は、何も子どもに限ったことではありませんでした。どうしても自分自身が注目を浴びたくて仕方ない人、自分の意見を取り入れてくれないと気がすまない人…etc.世の中には、さまざまな人がいます。
 女子高校生の間では「KY」という言葉がありますが、これは「空気読めないヤツ」という意味だそうです。日本語崩壊だ、と嘆く前に、少なくとも、自分自身は『場の空気の読めない人』にはなりたくないなと思います。
主役でありたいがために、場の空気が読めなくなるのは、最悪です。「愛して!愛して!オーラ」を出し続けている人は、たいへん厄介です。なにしろ、常に自分が1番であり続けねば、気がすまないからです。しかし、議員の中には、実にこの人種が多いことに驚きます。しかし、反面、これは、議員として仕事をする上で大切な要素でもあります。つまり「いかに自分の功績を市民に訴えることができるか」(やですね〜!)ということです。(シャイじゃ、務まらない!バランスがむずかしい??)
 しかし、肝心なのは、売名行為に走るがあまりに、市民を「利用」するだけで、その実、本心は「次の選挙」のことしか、頭にない、なんてことになると最悪!賢い市民には、そんなことは、とうに見透かされていると思うのです。そもそも「何のために議員をしているのか」その原点が大事ではないでしょうか。
 市のさまざまな施策を、次の選挙の道具としてしか捉えていない議員がいるとしたら、本末転倒でしょう。だれにとっても、最大公約数のサービスができるかどうか、「しっかり、世論の空気を読める」そんな議員でありたいと思う今日この頃です。
 50年100年先、子どもたちの未来を見据えた施策を展開できるような、次代を『先読み』できるバランス感覚のある人間になりたいものです。