社会はジェンダーフリーを正しく理解しているのか?

2007年7月20日 16時18分 | カテゴリー: 活動報告

男女共同参画の意味するもの

しばらく前、柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言がありましたが、この感覚はいかに『政治的に革新派』であろうとなかろうと関係なく、同様の思考回路に置かれている人の多いことに今更のように驚きます。
「ジェンダーフリー」と聞くと、「やっぱり、女性は女性らしいほうがいいんじゃないの〜?」などとおっしゃる!私も、女性らしさは好きですし、全く否定するものではありませんが、そもそも「らしさ」を論じているものではないのに、そこに大きなカン違いがあります。
 各自治体において男女平等推進条例(名称はさまざま)等が制定されていますが、国の前時代的な方向性を反映してか、「男らしさ女らしさを否定することなく」とか「ジェンダーにとらわれることなく」などとの文言が入るなど『そんな条例なら要らない』と言いたくなるような状況が報告されています。性差はあって当たり前です。しかし、国立市でも、過去数回、「国立市立小・中学校におけるジェンダーフリー教育を取り止め、男女混合名簿の廃止を求める陳情」等が提出され、賛成した議員たちがいましたが、果たして正しくこれを理解しているのか、確認したいところです。7/12の朝日新聞には、「裂かれた男女共同参画」というタイトルの記事が掲載されていましたが、ここには市川市の‘新条例’をめぐる顛末が紹介されていました。「主婦暦17年である私が主婦を貶めるような条例をつくるはずない」と最初の条例づくりに関わった元市議の言葉は、たいへん共感を覚えるものです。
 ジェンダーフリーとは、「ひとり一人が自分らしく」生きることを肯定するところからはじまると考えます。しかし、社会は、どうでしょう?「やっぱり女は家庭にいて、当たり前」そんな風潮は今もってなくなりません。
ある時期、子どもには、母性が大変重要な場面があります。しかし、そのことを隠れ蓑に、子育てをすべて妻の責任にしてしまう風潮そのものが少子化を招いている一因であることに気づかぬ振りをしている人たちもいます。
私の知人で、夫婦別姓、夫が育児休暇をとっているカップルがいます。誰もが、そういう生き方ができる社会にしていくことが大事であり、少子化対策でもあると考えますが、なかなか一足飛びにはいきません。児童手当など、あたかもお金さえ出せば少子化が解決するとでも思っているのか、感覚のズレにあきれるばかりです。お金はないよりあったほうがいいに決まっているけれど、それより、現実的に楽しんで子育てができること、就業における機会均等のほうが大事であるし、なにより、ジェンダーフリーの誤解をなくすことこそ、先決ではないでしょうか。