銅(あかがね)御殿(旧磯野邸)見学の記

2007年6月29日 16時33分 | カテゴリー: 国立市議会

近代和風建築の価値魅力

 空梅雨かと思われるほどの晴天が続いた後に、ようやくカタツムリが喜ぶようなお湿りのあった日曜日、楽しみにしていた銅御殿(旧磯野邸)に対面できるとあって、私はワクワクしながら茗荷谷を訪れました。
 6/1のホームページでご紹介した湯立坂マンション問題で、その危機に立たされている重要文化財の建築物です。現在のご当主である大谷氏のご好意で、特別に内部も見せていただきました。その日は、建築家や工務店の方、マンション建築反対運動の方や外国からの方などとご一緒に、説明をうかがいながら拝見しました。
 明治末から建築が始まり7年の歳月をかけ、大正元年に竣工した旧磯野邸は、棟梁の北見米造の手によるものです。施主の磯野敬にその才能を見出され「寺院風であること、耐震耐火構造であること」以外は「工期も費用も制約なし」にその仕事を請けた北見は、当時19歳だったそうです(一部、文献には21歳とある)。
 コンドルや辰野金吾がもてはやされた時代に、当時無名の北見の仕事は、近代和風建築の金字塔とも言えます。門は釘1本も使ってはいません。流線型の屋根が、その不安定な形にも関わらず、落ちてこない計算しつくされた設計は、外からも確認できます。
 筋交いのない家が、どうして耐震なのか、不思議に思われるでしょう。抜きと抜きの間は、今の法では20㎜となっていますが、ここでは60㎜あり、竹組みはせず、きずり漆喰は11回(20回とも?)塗ってあるそうです。また、カーブしたり途切れをわざとつけるなどした障子の桟のデザインに見られるような遊び心は、中国の建築の本『奪天工』から学んだとのことです。大谷氏は、その『奪天工』を見つけ出し、複写を見せてくださいました。同様のデザインをそのページをめくる中で確認すると、言い尽くせぬ感動がありました。御蔵島からの桑の木だけでなく屋久杉や木曾の檜を一山買い付けるなど、贅の限りを尽くした建築物です。3階のある部屋では、天井の四隅の材に、わざわざ節のある部分(穴のあいた)を使い、換気できるようにしてあったり、雨どいの代わりに、雨水が、外側に落ちるような工夫が施してあったり、どれもこれもアイディア満載でした。
 国立駅舎の保存をきっかけに、こうした歴史的建造物を関心を持って見てきましたが、なにより、日本人のその卓越した美への探究心には、ほんとうに脱帽です。
 なんとしても、この価値ある建造物は、子どもたちの代に引き継ぎ守らなければならないという思いを強くしました。
 このすばらしい機会を設定してくださった皆さまに心から感謝いたします。ありがとうございました。