人が生きる意味、そしてイマジネーション

2007年1月26日 15時43分 | カテゴリー: 活動報告

「いのち」考察

 「あなたが、影響を受けた本は?」と尋ねられたら、私は迷わずマラマッドの「The Fixer(修理屋)」をあげるでしょう。この作品は、’67年にピュリッツァー賞を受賞していますので、お読みになった方も多いかもしれません。しかし、およそ多感な少女時代に手にしたくなるような作品ではないので、なぜこれを読む気になったのかは、正直なところよく憶えていないのです。
この作品は、帝政ロシア時代に無実の罪で長く獄中での生活を強いられるユダヤ人の修理屋を描いたものですが、この中から、たぶん私は、人が『生きる意味』を学んだように思うのです。
 議員になってから、たくさんの市民の方とお話をする機会が増えましたが、その中でも、高齢の方のお話を伺っていると、つい時間のたつのを忘れてしまうことがあります。特にひとり暮らしをなさっている人は、話したいことが、たくさんあるのだと実感するのです。そうした会話から感じるのは、人は無意識のうちに「生きる意味」を探しているのだということです。「なぜ、生きるのか?」逆に言えば、「人はなぜ、自殺をしたくなるのか?」をも考えなくてはなりません。「自分が、この世に必要な存在なのかどうか」ということではないでしょうか。これが実感できれば、いじめにあって自殺してしまうことなどなくなるでしょう。
先日、ネットが主催した福祉フォーラム「高齢期をいきいきと〜認知症にならない生活ってあるの?」で講師をお願いした柴田先生によりますと、認知症予防には、食事以外に、社会貢献度を高めることが効果的であるとのことでした。つまり「私は、人の役に立っている」という実感こそが、『生きる意味』につながるのではないでしょうか。人は互いに支えあって生きていくものであり、円滑なコミュニケーションには、『思いやり』が必要となります。他者への気遣いが、自分自身をも支える勇気となります。こうしたことは、誰もが、よくわかっているはずなのに、つい日々の生活に追われていると、意識から遠のいてしまいます。
 しかし、まさに「政治」にこそ、これが求められるべきテーマだと思うのです。私の口癖でもある『イマジネーション(想像力)』を豊かにすることが、人に「生きる意味」を与え、他者との関係をより柔軟にもてるようになるキーポイントであると思います。