平和を願うカーテンの向こうとこちら

2005年4月15日 16時42分 | カテゴリー: 活動報告

軍備に頼る心

 今、国立では、4月9〜17日まで、「ピースウィークinくにたち」が、開催中です。さまざまな市民活動団体が協力し、市内数箇所で連続のイベントを組み、国立・生活者ネットワークも参加しています。平和を願うのは、私たちだけではないはずなのに、と疑問に思うことがあります。
国立市議会の中には、かなり右よりの議員がいて、同じ1期生なので、平場で議論する機会もあるのですが、話していてわかるのは、決して平和を望んでいないわけではないということ。でも、一体どこで、そのボタンを別のホールへ入れてしまうのか、とても気になることがあります。
 ピースウィークのスタート集会で、講演してくださった亜細亜大学の石埼学さんは、「分け方」の問題から、「負け組」「勝ち組」を例に、「フツー」でありたい人間心理を鋭く読み解いてくださいました。
私は、思うのです。一体、私たちは、何を持って「勝ち」とか「負け」とかを判断するのでしょうか。人それぞれ、幸せの概念は違うものです。「1億総中流」といわれた時代がありましたが、最初からそんなものは幻想に過ぎないことは、皆承知の上だったはず。なのに、現代においても、再びその幻想を見続けたいと思う人々の現実逃避を感じるのです。皆と一緒なら、安心なのでしょうか。
 平和を願っていないわけではないのに、やっぱり「武装」していないと不安だと言う人は、危機が迫った時には、「相手を殺す決意がある」という人なのでしょうか?
もし、その人が「NO」というのなら、一体何のために「武装」しているのか、問いたいのです。
「核は、持つことによってそれが抑止力になる」と唱える方がいますが、果たしてそうでしょうか。「核」の真の威力を知っているなら、己に弓引く行為であることに気づくはずでしょう。それは、核でなくとも、化学兵器でも同様です。加害者とならない決意をすることが、重要です。今の竹島の問題も、教科書検定も同じこと。わざわざ、今更、「日本固有の領土」を主張することの意味は、何なのでしょう?私には、わざと、かの国から弓引かせようとしているとしか思えないのです。大切なのは、アジアの国々とどう対話していくのか、ではないでしょうか。