安全な暮らし

2004年10月29日 16時39分 | カテゴリー: 活動報告

生死を分かつもの

 今夜は、殺伐とした日々からしばし逃れて、以前から楽しみにしていたアンドレ・リュウのコンサートに出かけました。「オランダのワルツ王」とも言われる彼のステージは期待以上のもので、幸せな気分で帰路に着いたのに、国立駅に下りた瞬間、つい先日起こった富士見通りでの傷害事件を思い出し、まだ人通りがあるにもかかわらず背後に迫るサラリーマンの靴音にすら怯え、西に向かう足が、知らず知らず、競歩状態になるのでした。襲われた女性は、偶然そこに居合わせただけで被害に遭い、ほんの数センチとは言え、首に傷を負い、さぞ生きた心地がしなかったことでしょう。現場は、私たちネット事務所のすぐ前でしたから、人ごとではありませんでした。
一方、新潟中越地震では、たくさんの方が被災されました。国立市では、27日に救援物資を被災地へとどけましたが、今回の長岡市での土砂崩れにワゴン車ごとまきこまれた親子も、あとほんの5分その道を通るのが、早いか遅いかだったら、あんな目に遭わずに済んだかもしれない、と思うと残念でなりません。人の生死を分かつものは、一体何だろうと考えてしまいます。
 昨今、あちこちの自治体で「安心安全条例」を制定しているようですが、この条例をつくることで、はたして私たちの生活の安全が守れるのでしょうか。天災には、食料や日用品の備蓄が必要です。しかし、暴行や盗みを防ぐために監視カメラをつけるという話になると、「?」です。条例の必要性を説くために、犯罪の増加を挙げる人が多いけれど、そもそも犯罪認知件数の割り出し方に疑問があります。監視社会へ向けて、国家挙げての扇動に、危機感を覚えるのです。「安心安全な社会」といわれて、それを否定する人はいません。しかし、民衆の警察化によって、互いに隣人を疑いの目で見るような社会を形成していくことが、私たちの望む安心できる暮らしにつながるのかどうかを、よくよく考える必要があるのではないでしょうか。
 夜中、アルバイトから帰る息子が、自分の自転車に乗っているにもかかわらず、何度も警察官に呼び止められ、「お前の自転車か?」と問われるたびに腹を立て、以来、「警察官を見たら、道を変えるよ」というのを聞くと、何だか若者の心を歪めるのは、こういう社会なんだろうと妙に合点してしまうのです。